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東新町商店街(ひがししんまちしょうてんがい)は、徳島県徳島市東新町にあるアーケード商店街。 == 概要 == 東新町は、1585年(天正13年)に入国した徳島藩祖・蜂須賀家政が、町人を相手にする商人を集めたのが始まりで、1630年(寛永7年)ごろには内町と並ぶ徳島一の商店街として栄えていた〔谷野圭助 (2011年5月1日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(1)商都 歳月重ね変わる風景”. 徳島新聞(徳島新聞社)〕。 1934年(昭和9年)に丸新百貨店が開店し〔谷野圭助 (2011年5月4日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(3)丸新閉店 流通戦争の渦の中で”. 徳島新聞(徳島新聞社)〕、1971年(昭和46年)6月18日にはダイエー徳島店が開店する〔『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。〕など大型店も出店していた。 1970年代が全盛期とされ、1974年(昭和49年)には休日の歩行者数が約4万人を数えていた〔。 しかし、1983年(昭和58年)に当地区の核店舗となっていた丸新百貨店の約2.5倍の規模で徳島駅前に徳島そごうが進出したことから丸新百貨店と当商店街の衰退が始まった〔。 1995年(平成7年)3月21日に丸新百貨店が、2005年(平成17年)にダイエー徳島店が閉店して核となる大型店が無くなり、2006年(平成18年)には映画館も無くなるなど集客施設が相次いで消失したことで衰退が決定的になった〔。 郊外のロードサイド型店舗が勢力を伸ばした影響で、徳島市中心市街地で1983年(昭和58年)で1位の商業販売を誇っている内町も売り上げを落としており、2001年(平成13年)に郊外の北島町に大型ショッピングセンター・フジグラン北島が開店した前後からはその落ち込みが一段と顕著になるなど郊外との競争に敗れたことも衰退の大きな要因となった〔谷野圭助 (2011年5月5日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(4)変わる駅前 話題の店、出店相次ぐ”. 徳島新聞(徳島新聞社)〕。 また、明石海峡大橋開通後は神戸や大阪等への消費者流出が生じていることも打撃となった〔。 商店街の若者達がイベント等を開き頑張ってはいるが、根本的な活性化には繋がっておらず、同様の理由で衰退した他都市の中心商店街と同じく、商店街関係者達には独自色のある活性化策が求められている。 2012年3月18日、アニメを中心に上映するufotable CINEMAがオープンし、映画館が復活した。また、ポッポ街1号館(本館)からはアニメイト徳島(井上書房運営)が拡大移転(書籍販売フロアの新設など)した。アニメファンの来場による波及効果が期待される。 向かい側には西新町商店街があり、籠屋町商店街、銀座商店街と隣接している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東新町商店街 (徳島市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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